行ってきました!キリスト教会に!

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(※画像は「ぱくたそ」より引用・・・僕が今日行った教会はこんなに荘厳ではありません('Д'))

 

今日は日曜日。

 

日曜日と言えば、多くの人がお休みの日です。

 

ではなぜ日曜日がお休みの日なのでしょうか?

 

それはキリスト教で日曜日が安息日と決まっているから。

 

では安息日は何をする日なのでしょうか?

 

キリスト教では、教会に行ってお祈りをする日になっています。

 

というわけで、キリスト教にのっとって、今日は初めて教会に行ってみることにしました。

 

その様子をレポートしますよ~☆

 

目次

 

そもそもなぜ教会に行こうと思ったのか?

 

メンタルを病んでいると、生きることに絶望することがよくあります。

 

「これから先が不安でたまらない」

 

「自分なんていないほうがいいのでは?」

 

「自分に何ができるというのだろう?」

 

いままで見えていた道が、見えなくなるんですね。

 

目先1メートルくらいしか先が見えなくて、つい生きるのをあきらめたくなっちゃうのです。

 

僕もそんな人間です。

 

人生のリセットボタン、押しちゃおうかな~と思うときが多々あります。

 

でもそんなときに「一人じゃないよ!」と助けてくれるのが、宗教の存在。

 

宗教と言うと怪しい存在に思えますが、僕がここでいう宗教とは主に仏教とキリスト教のこと。

 

どちらも数千年続く伝統宗教です。

 

お寺に泊まっていたときのこと。

 

僕が宗教について意識するようになったのが、9月に田舎フリーランス養成講座でお寺に泊まっていたときのこと。

 

日中はお寺の中で作業することが多かったんですね。

 

そうすると、静かな雰囲気の中、すごく集中して作業できました。

 

でもそんななか、そこの住職さんがお話ししてくださいました。

 

「あまり根を詰めないことだよ」

 

お寺の掛け軸にも書いていました。

 

「あるがままに」

 

当時はフリーランスとして一本立ちしないと!と気負っておりましたが、現在は人生停滞気味。

 

大切なのは、一方向に向かって進むことではなく、一歩引いて自分の人生を俯瞰する余裕だったのでないかと今では思います。

 

そこから

 

「仏教ってなんだろう?」

 

「そもそも宗教ってなんだろう?」

 

と疑問に思うようになりました。

 

先にキリスト教へ。

 

仏教のお話をもって聞いてみたく思ったのですが、そもそもそういった場所がどこにあるのかわかりません。

 

お寺は地域にたくさんありますが、私のような門外漢がアプローチするような接点が見つからないのです。

 

母のお骨を預かっていただいているお寺は法話などを頻繁にやっているのですが、いかんせん場所が地元の宮城県。そうそうは帰れません。

 

こんなに数があるのに、敷居の高い仏教界。なんとかならぬものかと思いました。

 

そこで「キリスト教なら!」と思いました。

 

さっそく僕の住む街と「教会」で検索をかけてみると、日曜の集会に参加できるところを一つ見つけました!

 

初めて参加する方歓迎とのことだったので、さっそく今日参加してきました。

 

教会での過ごし方

 

お祈りが始まるまで

 

お祈りは10時半から。20分前くらいに行ってみました。

 

最初に名前を書いて、聖書などをお借りします。

 

通された礼拝堂は、思ったほど大きくなく40~50人くらい入れる規模です。

 

プロテスタントの教会なのですが、絵画や像などはなく、十字架がある以外は普通のスペースに見えました。

 

初めて参加するということもあって、先にいらっしゃっていた方のお隣の席を勧めていただきました。

 

こちらの方は信者の方で、信者歴30年くらいとのこと。ベテランさんですね。

 

お祈りが始まるまでしばし雑談。とても良い方でした。

 

礼拝の始まり

 

礼拝が始まると、音楽が流れます。

 

おなじみのパイプオルガンの曲ですね。

 

その間黙想します。

 

心の中は

 

「いよいよはじまったな~」

 

とドキドキ。

 

そのあと起立して讃美歌を歌います。

 

讃美歌は聖書とは別に厚い本があるのですね。

 

聖書を読む

 

その後牧師さんが聖書を読みます。

 

牧師さんは皆さんがイメージされるような法衣を着ているわけではなく、普通にスーツにネクタイです。

 

読み終わったらまた起立して讃美歌です。

 

説教(怖くはない)

 

このあとは「説教」というパートなのですが、怒ったりするわけではありません(笑)

 

読んだ聖書の部分について牧師さんのお話を聞くという所です。

 

しかしこの聖書がまたなかなか厚く、またお話の最中も聖書の中のあちこちに話がうつるのですが、そのたびにお隣の信者の方が教えてくださるので安心です。

 

また必要な箇所にはあらかじめ付箋が挟まれているので、こちらも便利でした。温かいお心遣いですね。

 

今回読んだのは「ルカの福音書3章1~20」というところ。

 

要約できるか心配なのですが、「悔い改めることができるかどうか」というのが今回のお題のようです。

 

「悔い改める」には自らの罪と向き合わなくてはなりません。

 

その罪に向き合い切ったとき、「悔い改めにふさわしい実」が見えてくるのですが、これではまだ十分とは言えません。

 

聖書では洗礼を受けようとするものに伝道者であるヨハネがこのように話したという箇所があります。

 

3:10群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」 3:11彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」

 

人に与えることで、悔い改める道が示されるということですね。

 

再び讃美歌

 

お話が終わると、再び讃美歌を歌います。

 

献金(強制ではない)

 

このあと献金と言うのがあります。

 

係の人がお金を集めるのですね。

 

でも隣の信者の方にも言われたのですが、「あくまでお気持ちなので、入れなくても大丈夫です」とのこと。

 

僕もまだ来たばかりの人間だしなぁ・・・と思い、回ってきた献金箱には100円玉だけ入れました。

 

その後いろいろ

 

あとはまた黙祷したり、讃美歌歌ったり、いろいろして1時間ほどで終了です。

 

会の最後に初めて参加した者として僕の名前が紹介されて拍手されてちょっと照れる思いです・・・(笑)

 

会の後は、牧師さんやお隣の信者の方とお話ししました。

 

クリスマス会のお話などを聞いて、子連れ歓迎と言うことで行ってみようかなとも思いました。

 

これもアダルトチルドレン自助グループと同じだったのですが、今後も参加を促されるようなことは一切ありませんでした。全然勧誘とかされません。

 

まとめ:行ってみて良かった。

 

実際、行ってみて良かったなぁと思いました。

 

特に讃美歌を歌っているとき、思うところがありました。

 

「こんな無価値に思える自分でも、神様は愛してくださるのだなぁ」

 

 何をやるにもダメダメで、何をやってもうまく行かなくて、どん底気味の自分。

 

道を踏み外している自分。

 

そんな自分でも神様はあまねく救ってくれる。

 

また「悔い改める」というパートも自分の心に響きました。

 

うつになると罪悪感(自分はこんなことでいいのか?)に苛まれることも多いのですが、自分の抱えている「罪」に向き合うこと。

 

キリストの教えの中では、全ての人が「罪」を背負っています。「原罪」というものですね。

 

全ての人が罪を背負っているという意味でも、全ての人は平等です。

 

だから僕も「自分だけ無価値・・・」みたいなこと思う必要ないのかな・・・と思えるようになりました。

 

さすが長年続く宗教・・・一回来ただけなのに、そんな自分にも響くなんて奥が深いです。

 

キリスト教は最初は売春婦や奴隷を中心に広まったそうです。

 

社会的な弱者にこそキリスト教はより必要とされたのですね。

 

礼拝に行っただけでは入信を勧められることはないので、メンタルが参ったときにはお近くの教会に行ってみることもお勧めします(^^)/

 

宗教と言うと身構えてしまいますが、自分は一人で生きている存在ではないのかも・・・と思えるきっかけになるかもしれません。

 

誰かに助けられ、そして他の人を助ける・・・そういう社会の繋がりを実感できると、生きやすくなるのではないでしょうか?

 

僕も入信を決めたわけではないですが、歴史好きと言うこともあり聖書についてもっと勉強してみようかなぁと思いました。

 

 

 

小説「聖書」: 新約篇 (徳間文庫カレッジ)

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